事実は一つ、解釈は無限

事実は一つ、解釈は無限

 

昨日は、高3次男の卒業式でした。夫婦で出席しました。

 

長男も同じ高校だったので、既にわかっていることでしたが、今回もダラダラすることなく、シンプルで引き締まった、とてもいい式でした。

 

 

式後の息子・妻の記念写真。

 

 

さて、その卒業式。うちもそうですけど、多くの保護者が車でやってきていましたので、駐車場で誘導している先生方も大変そうでした。詰めて駐車しないと入り切らないため、終わって出る時のことなどかまっていられないようで、あり得ないぐらいピッタリ停めさせられました(笑)。

 

前後10センチぐらいの隙間しかなく、もちろん両サイドにも停まってますから、もう出ることは出来ません。

 

式が終わった後、急いで帰りたい人もいるだろうに、どうなるんだろう? まあ、でも仕方ないな・・・と思い、式場へ向かいました。

 

 

 

 

さて、無事に式も終わり、私は教室へ向かうべく、駐車場へ戻りました。すぐに出られないのはわかっています。記念写真を撮ったり、生徒同士・保護者同士でおしゃべりしたり、お世話になった先生方へ御挨拶したりと、式後もいろいろありますからね。

 

でも、もしかしたら、前の車の人たちがすぐに出てくれるかもしれないし、逆に私が戻らずにいたら、後ろで待っている人に迷惑をかけるかもしれず・・・ そう考えると、とにかく戻って、車で待機するしかありません。

 

学校側も放送で車の移動を頻繁に呼び掛けてくれているのですが・・・案の定、皆さんなかなか戻ってきません。

 

1時間半は待ったでしょうか。

 

でも、そこで気付いたんです。

 

同じようなシチュエーション、つまり、自分は出たいのに前の車が邪魔で出られないという場合、普段だったら間違いなくイライラして怒りが湧いてくるでしょう。

 

それなのに、昨日は全くイライラしなかったんです。早く教室へ行きたかったのは山々ですけど

 

「おめでたい日だし、まあいいか」

「そりゃみんな、名残惜しいよな~、わかるわかる」

「平和な証だ」

 

と、まあずいぶんと寛大な人間に豹変していました(笑)。オマエ、いつからそんなに心が広くなったんだ!? ってぐらいに。

 

 

 

 

「前の車にブロックされてて、出たいのに出られない」

という事実は同じなのに、人って状況によってこんなに感じ方が違うんだな、と。

 

 

事実は一つです。でも、同じ事実であっても

 

「どう捉えるか」

「どう見るか」

「どう解釈するか」

 

によって、精神状態は全く違うものになります。

 

 

幸せとか不幸とかっていうのは、事実そのもので決まるのではなく、その事実を前にした時の心の在り方で決まるのですね。

 

 

 

 

これは、すべてのことに応用できます。例えば、第一志望のA大学に届かず、滑り止めだったB大学へ行くことになったとします。

 

「B大学へ行く」という事実は同じでも

 

「本当は行きたくなかった大学だけど、ここしかないから仕方ない」と考えるのか

 

「今の自分に一番ふさわしい大学に決まったということ。こうなったら、B大学で得られるものはすべて吸収してやる!」と考えるかで

 

幸福度やその後の成長ぶりは大きく変わってくるでしょう。

 

 

 

 

巣立っていく子たちが、更に大きく羽ばたいていってくれますように・・・