5月の最終授業日が終了しました。5月というより、3ヶ月間の学校休校シフトが終了したっていう方がいいですね。
学校休校が始まった3月、学校代わりに朝から教室を開ける形にしてスタート。
途中4月からは通塾制限をして生徒間の間隔をあける形にし、オンライン授業も併用しながら、何とか一度も教室を閉めることなく、自粛警察に捕まることもなく、今日まで来ることが出来ました。
この間に感じたことを羅列してみます。
・世の中の変化のスピードが速い(予測不可能、つまり予測とか目標設定とか意味なし)
・世の中の情報のほとんどはウソ(遮断して自分の頭で判断した方がいい)
・自分がコントロール出来ないものに振り回されない(他人や国に期待しない)
・みんなが行かない方へ行くこと(他塾と違う動きをしたことで、塾生たちの学ぶ環境を維持できた)
・生活には一定のリズムが必要(緊急事態下でも生活リズムをキープ出来た子に成長の跡が見られた)
・自由を与えられると不自由になる(膨大な時間を与えられた子どもたちを見て)
・人生で一番大切なのは「余裕」である(経済的余裕・時間的余裕・精神的余裕・物理的余裕がないと、創造力が低下するし、人にも優しくしてあげられない)
・実はムダなものがたくさんあった、ということがわかった(コロナがもたらした唯一のメリット)
・最もお金をかけなければいけない「教育」に国は無関心(オンラインの環境も整っていないし、9月入学の件も現場を知らない人間たちが目立つために議論していただけ。めんどくさそうだからやめよう、というのがミエミエ)
・過剰な反応をしないこと(手洗い・うがい・消毒・換気・空気清浄等、基本的なことをきっちりやるだけで十分)
・まずは目の前の人を大切にすること(家にいれば家族、教室にいれば塾生。自分の半径5メートルぐらいを見ていればよい)
・もっと生徒をよく見て、より個別に対応すること(子別)
・こんな状況下でも、世の中的にはムダと思われているものこそが人生を救ってくれる(音楽、本、映画など)
・今までいろいろ手を出してきたことが、ある時、つながることがある。何がどう役立つかなんてわからない(スティーヴ・ジョブズの名言「バラバラだった点が、ある時、線になってつながる=Connecting the Dots」)
・もうこれ以上無理!と思ったところからが本当のスタート(悪あがき・ダメ元の数は成功と比例する)
・自然の原理原則に逆らわない生き方をすること(朝から仕事の方が体調がいいので、本当はこのままいきたいところ)
・この世で変わらないものなんてない(だから、人の気持ちも変わって当たり前)
・・・と、軽い気持ちで適当に挙げ始めてみたら、キリがなくなってしまいました。これ、エンドレスで続ける自信があります(笑)。
まあ、よくもこんなどうでもいいことばっかり考えてますね、自分でも呆れてしまいます。
こんな中でも、教室の植物たちは元気です。開校時に明光義塾時代の保護者様からプレゼントしていただいた観葉植物も、面談スペースでこんなに元気いっぱいです。まさに教室の守り神です。
世間の騒ぎに関係なく、6年経ってもこうして力強く生き続ける植物のように、地に足をつけてドッシリと生きていきたいものです。
植物と言えば
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
昨日、中3生に国語を教えている時に出てきた芭蕉の句です。皆さん、御存知ですね。
人間の考えや行動などは儚く消えていくのに、自然は何があってもブレることなく、力強く存在している・・・そんな自然と対比させることで、人間の哀れさ・儚さを強調していると言われる句です。
人の気配すらないこの地でも、かつては栄華を求めて戦(いくさ)が行われたんだよなぁ、今じゃ夏草が生い茂るばかりだが・・・ と。
やはり、ここでも夏草という植物が圧倒的な存在感をもって、大切な何かを私たちに伝えてくれているのです。
6月から、また新しく、そして予測不可能な日々が始まります。
今日の一曲。
何とか無事終わった3ヶ月間ですが、私の中ではまだまだスッキリしない感じも残っています。
モヤモヤを吹き飛ばすには、レッド・ツェッペリン。好きなアルバムの一つ「Physical Graffiti」から一曲。