学習は高校まで

学習は高校まで

 

先日御紹介した本「独学術」がなかなか面白かったので、それについて少々。

可もなく不可もなく、よりは

 

 

 

 

核心に触れることが冒頭に書いてあります。

「学習」と「独学」は違う と。

 

 

今、学校や塾で子どもたちがやっていること、それが「学習」です。

子どもたちに「独学しなさい」と指示したところで、右も左もわからない状態で出来るはずがありません。

だから、先生の元で先生の「真似をして」知識や技を習得するわけです。これが「学習」ですね。

 

よく言われることですが、「学び」とは「真似び」ということです。

 

 

「生涯学習」という言葉は官僚がつくったのだろうか。誰がつくったにしても、この言葉はあまりにも妙だ。大人が今さら学習しても仕方ないからだ。

 

そもそも、学習とは何だろう。学習の本質は「まねび」、真似をすることだ。

 

たとえば、まだ字がろくに書けない子供が手本の字を真似して書く。これが学習だ。したがって、上手に真似ることをよしとする。

 

だから、子供や初心者が毛筆で字を真似て書くことを習字という。書道とは決していわない。書道とは、習うことから離れて、自分なりの字を書くことだ。

 

(中略)

 

学習は年端もいかない子供がするもの、何も知らない者がとりかかる最初の数歩のことだ。そこをすでに越えている大人がするものが独学である。つまり、LEARN (ラーン)ではなく、STUDY (スタディ)だということだ。

 

(白取 春彦著 「独学術」より抜粋)

 

 

 

 

 

私の感覚で言うなら、高校を卒業したら、もうそこからは「独学」だと思います。大学生も基本は「独学」ですよ。

厳しい世の中でどうやって生き残っていくか? 誰も答えを教えてくれませんし、そもそも決まった正解すらないのが世の中です。

 

と、言うよりも・・・

 

正解を求める前に、まずは「問い」自体を自分で作るところから始めなければいけません。

 

自分で問いを立てて、自分で仮説を立てて、自分なりの答えを生み出す。ある人から見たら、それは「間違っている」ということになる可能性もあるわけですが、そこは気にしない。自分で作ったオリジナルの答えであるところに価値がある。

 

少なくとも私は、そう思って日々仕事をしています。

 

そして、そのために必要なのは、やはり読書ということになります。学校のように絶えず先生がいてくれて、その下で先生の真似をして覚える・・・という場がなくなった時に、必然的に「独学」へ移行するわけです。

 

そこで「本」というものの重要性は、学生時代に増して高まるのが当たり前ではないでしょうか。

 

つまり、大人の方がより「読書」「本」を必要とするはずなんですね。

 

 

 

今、教室で子どもたちがやっているのは、そうした独学へ行く前の段階、つまり「学習」です。やり方を真似して覚える、それを使って練習して慣れる。その繰り返しです。

 

今はまだ解くべき問題を提示してもらえて、やり方も教えてもらえて、正解も一つに決まっている世界にいさせてもらえるわけですけど、いずれは、そのどれもが存在しない社会へ飛び込んでいくことになります。学校の勉強ぐらいでひぃひぃ言ってちゃいけません(笑)。

 

私が子どもたちに本を読むことを勧めたり、授業中によく「自分で行けるとこまで、とことん考え抜いた上で質問しなさい」なんてことを話すのは、世の中へ出る前のウォーミングアップみたいなものなのです。

 

 

 

次回も「独学術」について、もう少し書いてみたいと思います。