先日の三者面談で、あるお母様から
「〇〇のことを一番わかってくれているのは先生なので」
という、ありがたいお言葉をいただきました。
この御家庭にとって、今回の期末テスト結果は、きっと心底満足していただけるようなものではなかったはずですが、それでもこうしたお言葉をいただけて、引き続き任せていただけることになりました。
とても嬉しく、また身が引き締まる思いをした一方で
「本当にこの子のことを自分がわかっていたなら、もっと良い結果をとっくの昔に出してあげられたはず。わかってるようでいて、まだまだわかってないんだよな・・・」
なんて思いも実は浮上してきたのでした。
そう 「この子のことは誰よりも自分がわかっている」 親御さんはもちろんのこと、塾の先生っていう人種も割とそんな風に考えがちなのです。一人ひとりに対する思い入れがやっぱり半端じゃないため、いつの間にか
「自分こそがその生徒のことをよくわかっている」
「客観的に見えている分、むしろ、お父さんお母さんよりもわかってるんじゃないか?」
なんて考えがちなんですよ。
でも、本当にこの子のことをわかっていたなら、もっと容易に望む結果を出してあげられたはず。そうですよね?
誰かのことを「わかっている」なんて思うのは、実は思い上がりで、本当はいつまで経っても人のことを「わかる」なんてことは、ないのではないでしょうか。
最近になって、ようやくそのことが腑に落ちるようになってきました。
仕事でも同じですね。「わかった」「つかんだ」なんて思った瞬間から地獄行き・・・なんてことがよく言われるじゃないですか? あれもきっと同じ。
100% わかり切ることなんて永遠にないのに、わかったものと思い込んでしまうことで、一気にほころびが生じて、そこからいろんなことが漏れていってしまうのでしょう。
私も長いキャリアの中で、しょっちゅう痛い目に遭ってきました。
いや、未だにそうですね。
きっと「わかった」という気持ちになって安心したいのでしょうね・・・。自分自身を見ているとつくづく感じるのです。困ったものです。
勉強でも、仕事でも、趣味でも、対人関係でも
実はまだまだ知らないことだらけ、何もわかっちゃいない。
だからこそ、さらなる工夫や探求を重ねて、なんとか「わかろう」とするようになるし、結局はその連続で学び続けるしかないのが「生きる」というものなのかもしれません。
それすらも合っているかどうかわかりませんが(笑)。
先日、別の面談でも、ある中3女子に伝えました。
「勉強して、自分ではわかったつもりになってるだけで、実はわかってないんだよ。自分で勝手にわかったことにしちゃってるだけ。それじゃあ、成績は変わらないよ。
自分はまだまだわかってない、そう認めて、一つ一つの問題に挑みなさい」
私自身も、同じ気持ちで目の前の生徒、目の前の仕事、目の前の人生に向きあいたいと思うのです。
今日の一曲。
観たい新作映画がいくつかあるんですけど、その中の一本がこれです。
↓
私は、ロックのみならず、ソウルミュージックも大好きです。数々の伝説的アーティスト、作品を生んだモータウンという、それこそソウルの王国のようなレーベルのドキュメンタリー映画とくれば、それはもう観ないわけにはいきません。
好きな音楽があって、それを楽しむだけでもよいのですが、その作品の裏にあるストーリーを知ることで、さらに理解が深まるというのが、また嬉しいことなわけです。
そして、こうした音楽関連の映画や本から学べることはとても多いので、そうしたものに触れる習慣を意識して作るようにしています。
と、いうことで、この予告編にも出てきたマーヴィン・ゲイ。
名盤「Let’s Get It On」から、私が一番好きな一曲を。