7月の北辰テストは、6月に引き続き、自宅受験となります。
密を避ける形での会場実施となると、いつもとは比較にならない会場数の確保が必要となります。当然、それは困難ですからね。
いっそのこと、埼玉県中の学習塾で実施する形にしてもいいのでは? と、私も一瞬だけ思いついたのですが・・・
それはこっち側からのアイディアであって、北辰図書さんの側からしたら、とてもじゃないけど手配・管理し切れないでしょう。塾に通っていない子たちはどうするの? という問題もあります。
そもそも密を避けるために自宅受験にしているのに、塾で感染拡大なんてなったら元も子もありません。すべての塾がソーシャル・ディスタンスや換気、消毒等を徹底してくれるとも限りませんからね。
そこまで考えると、確かに自宅受験という結論しかないのかな、という気もします。
何でもそうですけど
「もっとこうしたらいいんじゃないか?」
と意見を出すのは大切。
その一方で、何事も必ず相手があることなので
「相手の立場だったらどうだろうか」「ただの押し付けになってしまうのでは?」
と一拍置いて考えてみることも同じくらい大切だと思います。
私自身もそのあたりのバランスの難しさには常に直面していて、永遠のテーマという気もしています。ついつい、自分の考えこそが正しいって思いがちです。
常に相手がいる
相手の立場というものもある
これを忘れないようにしたいと思います。
今週土曜日は教室で漢検を実施します。直前になって、尻に火がついて慌てて勉強している子もします。
例えば、ある中3女子。私の本音としては「漢検も大事だけど、21日の北辰に向けて忘れちゃってる中1・中2理社の復習の方をもっとやらせたい」というのが本音としてあるのですが
本人の立場になってみれば、目前の漢検に向けていっぱいいっぱいなんですよね。前もって勉強してれば慌てないで済んだのに・・・みたいなお説教は、「今の」この子には何の意味もないわけです。過ぎ去った日々のことを言われてもどうしようもできない。
「だって、現実に漢検の勉強が足りていないんだから、やるしかないでしょ」というのがこの子の本音でしょう。
上からガツンとやるだけでは前向きなものは何も生まれない・・・ というのが、彼らを指導する上での難しさでもあり、この仕事の面白さでもあります。
今日の一曲。
1990年のデビュー当時、「二番煎じ」「まがい物」「すぐに消える」等々、けっこう酷評されていたにも関わらず、振り返ってみれば同世代・同ムーヴメントのバンド中で唯一生き残ったのが、ザ・シャーラタンズ。
ニセモノどころか、完全なるホンモノでした。いいバンドです。30年かけて、彼らは自らそれを証明してきたわけです。
二度も起きたメンバーの急死など、数々の試練を乗り越えて今日まで生き残ってきた彼らの姿から、私は勝手に生き様を学んでいます。ホント、アーティストという不安定な職業を生業にしている人たちから学べることは多い。
ボブ・ディランの唄い方を真似ているのが微笑ましい、彼らの代表的なナンバーの一つ。