夏期講習中に実施した漢検・数検の結果が、共に判明しています。
結果を見ると、「よくがんばったなあ~!」という子もいれば、「なぜこうなる?」という結果の子まで、まあそれぞれにいろいろドラマが見え隠れします。
それぞれ、この結果を受けて次にどうするのか? をよく考えること。テストというのは、やった後も大事です。
もうすぐ解答も配布されますので、それを使って復習をし、更に上の級を狙う、もしくは再挑戦する、といった次のアクションを考えましょう。
さて、その検定結果に関して、よくあるケースについて今回は書いてみます。
例えば、漢検3級の合格ラインが200点満点中の140点以上だとします。
ある子が、140点ちょうどで合格したとするじゃないですか。ギリギリですね。でも、立派な合格です。
ところが、素直に親子で喜んでくれればいいものを
「あんた、ギリギリじゃないの! もっと余裕で受からないとダメ!」
という保護者の方がたまにいらっしゃいます。
まあ、その気持ちもわかるのですが、子どもの喜びは半減してしまいます。
いいですか、漢検協会が
「あなたには、3級の力があると認めます」
と、せっかく言ってくれているのですから、それをありがたく頂戴しておけばいいのです。
140点だろうが、199点だろうが、その子には「3級の能力がある」ということなんです。
プロ野球の話に例えましょう。
呼び方は「守護神」「クローザー」「ストッパー」「抑え」といろいろありますが
最後の1イニングに登板して相手の攻撃を抑え、チームを勝利に導く投手のことをそんな風に呼びますよね? 野球好きな方には今さら必要ない説明ですけど。
例えば、3点リードした状態で最終回に満を持してクローザーが登板しました。そのまま逃げ切れば勝ちです。
しかし、ストライクが入らないわ、ヒットも打たれるわで、3点もリードしていたのに、あれよあれよという間に1点差まで追い詰められてしまったとします。
こういうタイプのクローザーは「劇場型」なんてよく言われます。観ているファンもベンチも、ハラハラドキドキだからです。もちろん、「不安定」「安心して見ていられない」という批判的な意味合いでの「劇場型」です。
さて、そんなふうに周りをヒヤヒヤさせながらも、どうにかこうにか1点差を守って逃げ切ったとします。チームは勝ったのです。
しかし、ファンからは容赦ない罵声が飛びます。「怖くて見てられない」「抑え失格」「配置転換すべき」・・・等々。
でもね、よーく考えてほしいのですが
最終的に「勝てばいい」わけですよね?
抑え役として最後の最後に登板する投手にかかる重圧は、我々の想像を絶するものがあると思います。自分の肩にチームの勝利がかかっているわけですから。失敗すれば、先発投手の勝ちを消してしまうかもしれない。
そんな役割を引き受けてくれているだけでもスゴイことであり、打たれようが点を取られようが、リードを守ったまま試合を締めてくれさえすれば、「守護神」としては十分に合格なのではないでしょうか?
にもかかわらず、私たちファンは「一人のランナーも出さず、カンペキに抑えて勝つ」というキレイな勝ち方をクローザーと呼ばれる投手に望んでしまうのです。
べつに、どんな勝ち方でも良くないですか? 泥臭い勝ち方で良くないですか? いいじゃないですか、ギリギリの勝利だって!
漢検で、キレイな高得点での合格を望んでしまう人、ギリギリの合格を喜べない人というのは、劇場型のクローザーを批判する人と同じです。
「本当に大事なのは何なのか?」これを忘れてしまっているのではないでしょうか? 大事なのはもちろん、合格という結果です。
人生、七転八倒しながら、悪戦苦闘しながら、粘り強く、泥臭く勝ったっていいのです。一点差で逃げ切れれば御の字なんですよ。むしろ、その方が喜びもひとしおじゃないですか?
キレイに完璧に勝とうなんて、ファンタジーの世界であることを認識するべきです。
さらに、このことを逆の視点から見てみましょう。
わずか1点足りず、139点で不合格だったという子もいるでしょう。
140点ジャストで受かった子とは、たった1点しか違いませんから、二人は能力的には大差ないと言えます。
しかし、世の中からは「漢検3級の能力がある子・ない子」として見られてしまうのです。
これが世の中の厳しい現実です。
だからこそ、ギリギリだろうが何だろうが、「合格」という結果には、途轍もない価値があることをわかってあげてほしいと思うのです。
今日の一曲。
と、いうことで、ちょうど漢検結果が判明したタイミングで書いてみました。追い詰められても1点差で逃げ切る・・・入試でも仕事でもよくあるケースですけど、私はそれで全然OKだと考えて生きています。
何の脈略もないのですが、コールドプレイで私が一番好きなアルバム「X&Y」から一曲。