夏期講習の成果を見る回とも言える、中3生の9月北辰テスト結果が先日返ってきました。
結論から言うと、スパークの子たちは全員が3科総合、5科総合のいずれかで自己ベストの偏差値を叩き出してくれました。
良かった良かった! 私としては、ホッとひと安心というところだったのですが
本人たちの反応は、いまいちだったんですよ、これが。
口々に「もっと取れると思ってたんですけど・・・」みたいな感想ばかり。
夏休みというのは、言うまでもなく日本中の受験生たちが夏期講習やら合宿やらで一気に受験勉強モードを上げてくる時です。
塾に通ってない子たちだって、きっと今までにないくらい猛勉強したことでしょう。
だから、この時期に偏差値を上げるというのは大変なことなんですよ、ホントに。
それを自己ベスト更新できたのだから凄いことなんです。
もちろん、私も上げるために必要な内容を彼らに提供してはいましたが、それを吸収して自分のものにしたのは、あくまで子どもたち自身。大いに褒め称えてあげたいところですが
彼らは納得していないんですね。
ここで私が感じたことは二つ。
まずは
「現状に満足せず、もっと上へ行ける可能性が自身にあると信じているのは頼もしい限り」
そして、もう一つは
「でも、自己評価は高すぎてもいけないよ」
前者については説明の必要はないと思いますので、後者についてちょっとだけ補足しておきますね。
前述の通り、周りのみんなが頑張っている時期に偏差値を「1」上げるというだけでも本当に素晴らしいことなんです。ところが、自己ベストを出せたにもかかわらず、あまり喜べていないという現実。
子どもたちには常に自分の可能性を信じて上を目指してほしいという気持ちがある一方
ほんのわずかな成果であったとしても喜べる子たちであってほしいな、とも思っています。
小さなことにも喜びや幸せを感じられる方が良くないですか?
大きな成果なんてそう簡単に出せるものではありません。自分が思い描いていた理想通りに結果が出ないからといって、その度に不満を感じるのはツライですよね。
「周りもすごい頑張っているんだから、そんなに甘くない。きっと、そう簡単には上がらないだろうな」 それぐらいの気持ちで臨んだ結果、自己ベストという結果が返ってきた。これなら、メチャメチャ嬉しいですよね!
受験でも仕事でも何でもそうですけど、究極のゴールは「喜びを感じられること」だと思うんです。
だったら、自己評価をあまり上げ過ぎずに、ちょっとした成果であったとしても、それに対して喜びや充足感を感じられるようにしておくのもアリです。
例えば、このブログ。最近の私は、Twitter でメッセージを発信するようにしているので、昔に比べてこちらのブログの更新頻度はかなり低いわけです。
にもかかわらず、毎日誰かしらが訪問して下さっている。「訪問者ゼロ」という日がここまで一日もないんです、本当に。
私は「ブログなんて、一人でも見てくれる人がいれば、それだけでホントありがたいな」と思っているので、毎日の閲覧数を確認するだけで幸福感に満たされるわけです。
つまり、自己評価が低いので、ちょっとしたことでも嬉しく感じられるのです。
それに、自己評価がそれほど高くなければ、もしも結果がイマイチだった場合でもそれほど落ち込まなくて済むわけです。「まあ、こんなもんだよね。次また頑張ろう」って思えて立ち直りも早いのではないでしょうか。
「自分の可能性を信じる」
「自己評価は低い方が幸福度は上がる」
どっちが正しい・正しくないではなく、この二つのバランスを取れるようになれたら理想的だというのが私の持論なのですが、いかがでしょうか?
・・・と、感じたことをそのまま書きましたが、夏期講習の成果がしっかり出ていたのは事実であり、実に喜ばしく、誇らしいことです。スパーク生たち、みんな本当によく頑張っています。
下がっていたら、こんなブログは書けないわけですからね。実に幸せな話ですよ。